現在を生きる・アマゾン原住民の生き方

ブラジル・アマゾンの奥地に、不思議な言語を持つピダハンと呼ばれる少数民族がいる。ピダハンの言語には数や色を示す言葉がない。数の感覚は「少し」と「かなりある」の2種類。過去や未来の時制もない。あるのは現在だけだ。アマゾンの豊かな自然の恵みの中で、川で魚を弓を使って採り、サルを捕まえ食料にしている。狩猟生活だ。「過去」を思い患うことも「未来」を憂うこともなく、「現在」を生きている。長年にわたって彼らと共に暮らした元キリスト教宣教師のアメリカ人言語学者ダニエルは、ピダハンの生き方を理解するうちに現世を否定し、罪からの救い、天国での永遠の命を説くキリスト教信仰を捨てて、言語学者として生きる道を選ぶ。それは家族を失うということでもあった。ピダハンの人々は言う。「神は知らない、神は必要ない」と。私達は自分の意識としては現在だけでなく、過去と未来も同時に生きている。過去を思い出し、未来に不安を感じたりする。それにしても現在だけ生きる、というのはどのような感じなのだろうか。一つだけ分ることがある。現在を満ち足りた思いで生きることができれば、現在に意識を集中することができるのではないか。また人は本当の意味では現在という時制の中でしか生きることができない。その意味では現在を生きる、今日を生きるとは過去と未来を現在に引き寄せて、現在にしてしまうことかもしれない。残っているのは永遠だ。現在がずっと続く、それが永遠なのかもしれない。ピダハンの人々の生き方に触れて思うことは、それでは日本人はどうか、ということである。NHK教育テレビの地球ドラマチックを見ながら考えさせられたことだ。