琥珀のまたたき

小川洋子さんがまた素晴らしい小説を書いたようだ。本の題名は「琥珀のまたたき」。昨日の日本経済新聞朝刊の書評欄で文芸評論家の富岡 幸一郎氏が示唆的な紹介をしている。

私が目を留めたのは以下の個所だ。

「復活は信仰によってではなく、ここでは繊細な言葉の感覚によって瞬時に表現される。

世界は在るがままの目に見えるものだけではなく、底に幾つもの豊穣な地層があり、その潜在するものが今ここに顕在しているものを突き動かす」

確かに富岡氏の言う通りだろう。さてこの文章に啓発されて私は少し違うことも考えてみた。正確には気がついたというべきか。

豊穣な地層は私にとって過去となった私の現在を含んでいる。人生の一年一年が積み重なり、その圧力と温度で過去の出来事のあるものが圧縮され、結晶化していく。その結晶体が一つ一つと増えて豊穣な地層の中で輝きを放つようになるのではないか、と思ったのだ。

つまり最初から豊穣な地層ではなかったのだと。そしてもう一方で人は日々の生活の中で人生の重さと熱にも耐えなければならない、と。

また復活とは「記憶」なのではないか。記憶がある限り、復活体験を持つことができる。