生きて生きて生き抜く

 

被爆二世の漫画家中沢啓治さんは自伝漫画「はだしのゲン」で原爆の悲惨さを被爆した人達の姿を通して伝えた。と同時にどのような厳しい状況の中でも人は生ある限り、生きて生きて生き抜くんだとのメッセージをゲンの人生に託して読者に送り続けた。私達は時として生きることに意欲を失ってしまうことがある。私もそうだ。老年になると、なんだか疲れた、もういいかな、という気持にフッと襲われることがある。生きることに絶望した中年期に、フランクルの「夜と霧」の中の、私が人生に期待するのではなく、人生が私に期待しているという文を読み、自分の生き方を考え直したという出来事が自分の中にあった。人生は私に何を期待しているのか。それは生ある限り、生きて生きて生き抜き、私らしい人生を完成させること、ではないかと思う。私の人生は私のものであり、そして私以外の人のものでもある。イエスの山上の説教の中に有名な「思い悩むな、空の鳥、野の花を見よ」というメッセージがある。私達にはいろいろな心配事がある、不安もある。しかし今この時生きている、それで十分ではないか。神は私達のために十分な配慮を持って、私達を支え、生かしていてくださる。イエスはそう言う。この鳥はカラスで、野の花は雑草だと考える人もいる。いずれも無価値と思われる存在だ。そのような無価値とさえ思われるものを神は養っていてくださる、まして人間であるあなたたちに良くしてくださらないわけがありますか。イエスは当時の厳しい社会環境、生活の苦しさの中で喘いでいた人々にそう語りかけた。カラスとか雑草は失望することはないだろうが、人は希望、生きる意欲を失うことがある。それが人間の大きな特長なのだと思う。しかし、希望を回復し、生きる歓びを感じることができるのも人間だからこそだ。今、ここで喜びを持って生きよ。それがイエスのメッセージなのかもしれない。私はアンパンマンの歌詞を自分の手帳の裏表紙に貼り、折りに触れて読み、胸の中で反芻している。歌詞の冒頭はこうだ。「そうだ! 嬉しいんだ生きる喜び たとえ胸の傷が痛んでも」傷の痛みに耐えながら、生きることを喜ぶ。アンパンマンは人生を生き、生き抜く本当のリアリストだ、と思う。