真実とはどのようにして見つけるか?

最近分らなくなってきているのが、真実とは何かということである。真実であることを確証するものは何か、真実に到達するためにはどうしたらいいのか。具体的問題に直面した時、その難しさを感じる。

テレビでミステリー関係のドラマが数多く放映されている。断片的な事実を積み上げて、推理し、また科学的に分析して、真実に肉薄していく。ミステリーの場合は真実の発見が同時に真犯人の特定となり、動機の解明となる。ミステリーを見ていて思わされることは、それが犯罪を扱うドラマのキレイな終り方なのだろうが、「それがどんなに厳しい結果であろうとも真実が救いになる」というメッセージだ。このことについてはさらにキチンと考察してみたいと思う。

テレビのミステリーからヒントを貰いつつも、自分をとり巻くいろいろの出来事の真実とは一体何なのだろうか。真実を知るためには物事を全体的に見ること、深いところまで洞察すること、短期的だけではなく長期的視野で考えること。本からまた人生の先輩から教わってきた。それらの原則を弁えつつ、自分の人間関係、自分の仕事、自分の人生、さらには日本の農業問題、日本と中国との関係、現代世界の格差・・・など、本当のところは何だろう、何が真実なのか。時々立ち止まって考えることがある。自分の思考が浅く、断片的であることは分っているが、やはり人間として「真実を知りたい」という衝動がどこからともなく湧き上がってくる。それにしても真実を知れば安心立命できるのだろうか。

ただ真実を知る上で自分の思想的傾向、性格が持っている感情的なバイアス(偏り)がいつも障碍になっているような気がしてならない。

真実には事実だけではなく、人間の側の感情、思いも加味されているのではないか。とすると真実は客観と主観の間で成立するものなのだろうか。