真実を知ることの大切さ

 

何事につけ真実を知るということは容易ではない。テレビドラマ「相棒」の杉下右京は言う「私は真実を知りたいのです」。右京には真実こそが事件の、問題の真の解決の鍵を握るという確信がある。だからこそ、世渡り的な打算、組織の論理を乗り越えて真実に迫ろうとする。怜悧さに加え世渡り的な打算、組織の利活用に長けた小野田官房長とのやり取りは実に面白かった。腹を刺されて絶命した小野田官房長に向かって叫び続けた右京の声が胸に残る。右京を使いこなすのに手を焼きながらも、それは自分しかいないという気持で右京の後ろ盾になってくれた官房長。あのオネエ口調が懐かしい。横道から戻る。相棒に限らずサスペンスドラマには真実追究が必ずある。簡単に言えば、「実はこういうことだった」。そこに行く迄の持って行き方に脚本家の工夫もあるのだろう。さて、私達の日々の生活、人間関係、そして仕事の中で、青い言い方になるかもしれないが、私達は真実を見ようとしているだろうか。溢れる情報、事実の断片の海の中で、流れ流されて私達は真実を見失っていないだろうか。あるいは忙しい生活の中で、真実とはなにか、さえ考える余裕を持てなくなっているかもしれない。真実がどのように厳しいものであろうと、私達は最後は真実と向き合わなければならないのだ。私がこのようなことを書くのは真実の大切さを痛感させられる出来事に最近直面したからだ。真実は事実と違って簡単に見えるものではない。最後は真実から迫ってくるものかもしれないが、やはり真実を見る目を私達は持たなければならないだろう。「私は真実を見ているだろうか、なぜそれが真実と言えるのか」