競争と共創

 

欧米の牧畜民族は、良い牧草地と井戸を確保するため争うことが多い。そのため契約を結んで争いを一時的に避けようとする。旧約聖書のイサクの件にはそんな記事がある。そもそも競争とは何だろうか。自分を脅かす相手がいる中で、自分が、あるいは自分たちが生き残るために生存の場所を確保する。それができた時は勝った時で、できなかった時は負けた時となる。勝ち負けの世界だ。当然このような思想は国を守るための軍事戦略への発展していく。優勝劣敗を繰り返しながら世界は進化・発展してきたと言えるのかもしれない。人類の歴史では戦争は絶え間なくあり、平和な時はつかの間だ。現在でも世界のどこかで戦争が行なわれている。最近では中国人民解放軍が尖閣諸島をめぐり日中戦争を煽りたてた。一方ビジネスの世界では通常、競争は当然のこととして、正しいこととして理解されている。沈滞した市場に競争原理を持ち込んで活性化したなどと言う。規制を緩和して、自由に競争できる環境をつくるべきとの言説もたびたび聞く。ただ競争は寡占化を生み出すことを理解しておかなければならない。それは経営努力の結果でもあるだろうから、評価が難しいところだが問題は消費者にとって良いことか、そうでないかだ。さて共創について述べたい。ソトコト6月号を読んでいて感じたことは町ぐるみで町を魅力的にして、お客を誘致しようという取り組みがあったことだ。その町のあるレストラン、ある飲食店だけが有名になる、ということではなく、町全体で良くなろうと町の農家、レストラン、観光業者が協力している。宮城県の鳴子温泉郷もそうかもしれない。人を蹴落とすのでなく、お互いの特長、長所を理解しつつ、知恵を出し合ってお客様に本当に喜んで頂けるものを、サービスを提要する。これは農耕民族である日本人の実は得意な発想・行動形態ではないだろうか。世界は本当は平和を求めている。その意味では、日本は競争戦略を超える、共創戦略を創り出すべきではないだろうか。これは最高のビジネスモデルではないだろうか。競争は本能的に自己中心になる自己との競争であるべきだ。そのような自己に打ち勝ってこそ、共創の舞台に上がることができる。