粉飾決算の誘惑

東芝の粉飾決算が問題になっている。誰も好んで不正をしたいわけではないだろう。いろいろな社内・社外事情があったのではないかと推測されるが、一度失った信頼を回復するには長い時間を必要とする。東芝は石坂泰三、土光敏夫氏と日本を代表する経営者によって鍛えられた企業、とのイメージを私などは持っている。サラリーマンになった頃、会社の中の勉強会で土光氏の「経営の行動指針」を読んだことがあった。

さて40代後半から50代半ば迄、私自身小企業の経営に携わった経験がある。業務内容は70%が土木資材、30%が建築資材という構成の販売会社だった。お客様は土木・建築の建設会社で、関東、東北、関西で販売活動を行なっていた。人脈中心の営業だった。

当時は政府の公共事業削減の時代で、私の会社も大きな影響を受け、業績は右肩下がりとなっていた。将来の見通しが開けないまま、3期連続赤字が避けられない状況だった。

3期連続赤字となると世間的には危ない会社という烙印を押され、また銀行からの融資も引き上げられる。そうなると会社はたちまち潰れてしまう。そのような事態は何とか避けたい。そこで思いついたのが循環取引で売上を増やし、在庫品の簿価を引き下げ利益を過大に出すというやり方だった。粉飾だ。このようなアイデアを当時私が信頼していた常務に話したところ、厳しくたしなめられた。「粉飾は一度やると止められない。またそれが取引先、銀行に知られたらアッという間に信用を失ってしまいます。やるべきではありません」。私はいかに焦っていたとは言え、自分を恥じた。

それから粉飾ではないまさに血が滲むようなやり方で何とか3期連続の赤字は食い止められたが、企業体力としては限界に来ていた。

銀行に自主廃業をします、と報告と説明に伺った際、銀行の担当者は「黒字に転換したのになぜ廃業するんですか」と怪訝な顔をしていた。その後銀行3行の協力の元、自主廃業を完了することができた。

粉飾をしていたら銀行からは相手にされなかっただろう。また取引先、世間からも。粉飾をしないで、できるだけのことをして、最後は自主廃業となったが、今でも厳しくたしなめてくれた常務のことを思い出す。自主廃業を決断したのは8月だった。眠れない日々を過ごした後の決断だった。

その8月がまた巡ってくる。