経済と社会・貧乏人はいるは貧乏な社会ではない

 

江戸末期のことだろうか、日本を訪れた外国人が言った言葉がある。「江戸には貧乏人は大勢いるが、貧乏な社会ではない」これは誠に示唆に富む言葉だ。どんな社会にも光の部分と影の部分があるのが常だが、全て経済で決まる訳ではないはずだ。現代では「経済決定論」的なものの考え方をする人が多いが、経済が全てではない。経済は人間の全人的活動の一部でしかない。これを突き詰めたカタチで言い切ったのがイエス・キリストの次の言葉だ。「そういうわけだから、何を食べるのか、何を飲むのか、何を着るか、などど言って心配するのはやめなさい」(マタイの福音書6章31節)江戸時代は庶民にとってはどんな時代だったのだろうか。宵越しの金は持たない、というのはどの程度本当のことだったのだろうか。生活の苦しさは勿論あっただろう。一方で楽天的な考え方が大方の庶民の心に希望と安心感を与えていたのかもしれない。物価も安定していたのだろう。経済的には豊かでなくても、人々がクヨクヨしないで明るく生きている、そんな社会、国が世界中を見回せばありそうだ。貧しいのは能力不足、努力不足、要するに人間として問題がある、という負のメタファーはいつから私達にこびりついたのだろうか。最近タオが注目されている。メタファーを取り去る精神的活動の一つの現れではないだろうか。