能について

 

いつもはのうはのうでも農について書くことが多いのだが、今日は能について書いてみたい。能力の能ではなく、能についての私の思い出だ。最近56世梅若六郎の「まことの光」を読む機会があった。神田の古本屋街で求めた本だ。読んでいるうちにいろいろなことを思い出した。私がまだ学生の頃、父が謡を始めた。何がきっかけだったかは覚えていないが、縁あって梅若流の梅若雅俊先生についた。56世梅若六郎の叔父に当る方だ。水が合ったのだろう、熱心に稽古に励み、先生のお宅に通っていた。最初の頃は紅葉狩のレコードを繰り返し繰り返し家で聴いていた。何事にも中途半端にはしない父だったので、先生からも目をかけられたようだ。そんなこともあり、父が私に能を見るように誘ってくれた。父が地謡で出ることもあり、中野にある能楽堂に度々行くことになった。ある時、「石橋」を見た時にシテの姿の美しさに身体が震える思いをしたことがあったことを今でも覚えている。演者は「まことの光」によれば父上の第55世梅若六郎だったのではないか。第56世は確か当時は景英ではなかったろうか。会社に勤めるようになってから残業の日々が続き、能を見る機会がなくなってしまったが、今回「まことの光」を読みながら、さまざまなことを思い出し、また能を見たいという気持が甦ってきた。能の幽玄の世界が私は好きだ。しかし、それにしても、能の稽古の厳しさ、激しさを「まことの光」を読んで感じずには居られない。伝統芸能を守るというのは常人の世界を超えたことなのだろう。

平成14年、第56世梅若六郎がフランスの世界遺産の町・ヴェズレーで、聖バジリカマドレーヌ大聖堂を背景にして「羽衣」を踊った姿をNHKの教育テレビで見た。何か不思議な感動に襲われたことも思い出す。最後に第56世の祖父の梅若実と白州正子さんのやり取りを記した「梅若実聞書」の芸術論には胸を打たれる。

白州が世阿弥の「花伝書」」を持って梅若実を訪れ、「この本をお読みになったことありますか」と聞いた。それに対し梅若実はこう応えた。「まだ拝見したことはござんせん。芸が出来上がるまで、決して見てはならないと父にかたく止められておりましたので。しかしもういいかと思います。が、私なぞが拝見して解りますでしょうか」

自分の芸が出来上がるまで、やはり「理屈より実践」ということなのだ。事業経営も一種の「芸」と言えるかもしれない。理論も大事だが、理論倒れにならないように、実践の場で厳しい稽古を重ね、場数を踏んでいく。頭でっかちになりがちな私たちにとって大事な戒めなのだと思う。

ビジネスの世界から離れる日もそう遠くない。これから人生の大きな楽しみの一つができたように感じる。それにしても現在の自分は無趣味で、心貧しい人生だ、と痛感させられる。