自分の価値、人生の価値

 

自分の価値が分からない、そんな思いで私は人生の大半を過ごしてきた。自分の価値を探し続ける旅が続いたが、結局は自分の価値は分からなかった。一方人生の価値は自分に与えられた志、使命を全うすることにあるのではないか、そんなこともやっと60歳台になって分かってきたような気がする。余りに鈍いと言えば鈍い。というか遅い。大江健三郎の若い頃の作品に「遅れてきた青年」というのがあるが、私はさしずめ「遅れてきた老年」だ。そういえば若い頃、大江の本を読んだが、分かったような、そうでないような消化不良の読後感を持ったように記憶している。私はある時期から、自分の価値、無価値を考えないようになった。超越したと言う訳ではないが、「生かされている、それだけでいいではないか」と思えるようになった。開き直ったのかもしれない。そう思うようになって、とても楽になった。そう思えるようになってから、自分のやるべきこと、できることが見えてきた。どこまでdきるか分からないが、やってみよう、やり続けてみようと思えるようになった。