自分の思考形態と感覚

最近ある出来事をキッカケにして、考えることがあった。それは自分の思考形態と感覚だ。自動的に反応してしまう思考形態と感覚が自分の中にあることに改めて気付いた。これらは自分が長年かけて自分の中に経験と反省を経て堆積してきたモノの考え方、感じ方だ。

それらがさらには個性、性格、パターンの一部になっている。問題は「自動的、無意識的に反応してしまう」というところだ。それが顕著に現れるのは、難しい問題、厄介な問題に直面した時だ。私のモノの考え方は「批判的」。感じ方は「面倒臭い」。批判的になったのは、良く言えば真実を知るために人の言うことを鵜呑みにしない、という気持から出ていると自分では思うが、結局は自分自身に対しても批判的になってしまう。批判的は両刃の剣なのかもしれない。随分前から美点、長所を見るように心がけているが、最初に批判的モノの考え方が自動的に反応するのが分かる。そこで一呼吸を置く。「面倒臭い」はどこかで投げやりにも通じる。思考形態は頭で分かれば修正が効くが、感覚はやっかいだ。そういう気持にならないと出来ない。こうした私の思考形態、感覚に大きな影響を与えてくれたのが農作業だ。過去10年近くの農業体験が私を変えてくれたと思う。それでも気をつけなければいけない。自分が物事を自動的にどのように考えるか、どんなふうに感じるか、これからどのような思考形態と感覚に変えて言ったら良いのか、時々立ち止まって点検する必要を感じている。