複式簿記と時代小説

現在執筆を続けている時代小説「欅風」もいよいよ仕上げの時期に入っている。戸部新之助は日本橋に開店した藩直轄の呉服店「大和屋」の支配人として、店の経営を軌道に乗せるため日夜奮闘している。一方天岡は藩全体の経営を安定化させ、また桑名の御料地と宿場町の繁栄のために仕組みづくりに励んでいる。さてここまで書いてきて、はたと考え込んでいるのが、当時はどのように金銭管理・収益管理・財政管理、つまり経営全体の把握をしたのか、ということである。

現在私達が使っている複式簿記の発祥の地は中世イタリアで、14世紀初頭までは多くの商人は大雑把な勘定しかつけていなかったが、やがて中世末期、先駆的な商人が複式簿記を利用し、網羅的に経済活動を記録することに成功、その結果飛躍的に商売を成功させる者が次々と登場したと言われている。複式簿記の最古の印刷物は1494年にベネツィアで出版された「スンマ」という書物だ。ゲーテは「ヴィルヘルム・マイスターの徒弟時代」の中で「複式簿記というものがどんなに商人に利益を与えるか知っているかい!これこそ人間精神のもっとも立派な発明の一つだ」と複式簿記を称えている。日本では「学問のすすめ」で有名な福沢諭吉が複式簿記を紹介した翻訳書「帳合之法」を明治6年(1873)に翻訳・刊行している。同じ年に「銀行簿記精法」が当時の大蔵省によって翻訳され刊行されている。

以上のように書くと複式簿記が外国から輸入されたものであることが明らかだが、一方日本では江戸時代、17世紀後半に大坂の鴻池家で原始的な複式簿記が開発されているが、18世紀の三井家や近江商人の中井源左衛門家の決算帳簿では、貸借対照表と損益計算書を含む複式簿記の構造を持っていたと言われている。特に中井家の帳合法では進んだ複式簿記法を採用している。

当時日本は江戸幕府の鎖国政策の下にあった。恐らく中井家の複式簿記は必要に迫られて独自に開発されたものであろう。和算学者、関孝和の数学理論が当時のヨーロッパの数学と肩を並べる水準にあったことを考え合わせると、当時の人達の知性と探究心の高さに驚かされる。

時代小説欅風は二代将軍秀忠の時代を背景にしているので、帳合法、複式簿記はまだ生まれていない。しかし、それに近いものは生まれていたかもしれないと勝手に想像している。

江戸幕府の幕藩体制下、藩の経済活動の全体を合理的に把握・分析することは藩の命運にかかわることではなかっただろうか。複式簿記の考え方を私なりにイメージしながら、現在75話まできているが、残り5話を書いていきたいと考えている。