農作業の後の散歩・「歩禅」

風が冷たくなってきたので、5時半に農作業を切り上げて家に帰ることにした。いつもは最短距離の道で帰るのだが、今日は遠回りして川の傍の道を通って帰ることにした。そんな気持だった。荒川に流れ込む新河岸川の土手の上は散策用に舗装されている。川幅は土手から土手で50メートルくらいはあるだろうか。天気が良かったためか川遊びの若者がいる。魚を釣ったり、河原で遊んだり。家族連れが野草を採っている。そんな光景を見ながら歩いていくと左側に水を張った田圃が3面ほど続いている。途中一面は水を張っていないところを見ると今年はそのままなのかもしれない。夕陽が向こうの土手にあたり土手がオレンジ色に染まっている。夕昏のごく普通の光景なのだが、歩きながらフッと「歩禅」という言葉が浮かんできた。歩いているうちに心が平穏になってきて、波立っていた気持ちも静まってきた。思考と感情はある時は極端に走っていく。そういえば若い頃、営業の仕事をしていてうまく行かなかった時、また会社経営をして苦悩していた時、私はよく散歩に出た。風に吹かれ、空を見上げ、木を眺めたり、家々の灯火を見たりしている内に段々気持ちが落ち着いていったことがある。

散歩は健康のために良いとされているが、精神的にも効果があると思う。散歩をしながら、想うこと、感じることは年代によってそれぞれ違うだろう。もっとも若い人たちはあまり散歩はしないだろう。やはり中高年ということになるかもしれない。

川のほとりを歩きながら、断片的に、頭の中を切れ切れに雲のように流れていく想念。「何も考えないで無念無想になる」のではなく「次から次ぎへと流れてくる想念を一つ一つ眺めている」のが「歩禅」の特徴かもしれない。初夏、緑溢れるこの季節、「歩禅」を楽しむにはうってつけだ。心がけてできるだけ楽しむことにしたい。