農民文学について

 

今朝の日本経済新聞朝刊の文化欄は“最後”の農民文学誌と題して、「地下水」を刊行している山形農民文学懇話会の代表、斉藤たきち氏が書いている。文の初めのところで創刊者が真壁仁氏であることを知った。私は若い頃、真壁氏の「詩の中にめざめる日本」 岩波新書, 1966を読んで感激した思い出がある。当時は農民詩人として、黒田喜夫も有名だった。黒田はドイツ表現主義の影響を受けた詩作をしていて、私は黒田の詩を愛読した。谷川雁は農民詩人の範疇には入らないだろうが、強烈なメタファーには心揺さぶられる思いがした。私が好きだったのは「東京へゆくな」。

なきはらすきこりの娘は 岩のピアノにむかい 新しい国のうたを立ちのぼらせよ

あさはこわれやすいがらすだから 東京へゆくな ふるさとを創れ

斉藤氏によれば懇話会は「社会の中ではいち百姓だが、文化・芸術をつくってきたのは農民だ」という自負がにじみでていた。その延長線上には「人間らしい社会・生活をつくりたい」という思いがあった。また斉藤氏はTPPも含め日本の農業と農村の根本的解体が起こることを予感しつつ、まだまだ農民文学が果たす役割があると言う。

しかし、この役割は自分達の死を見届けるという極めて苛酷なものにならざるを得ないのではないか。私はそこに斉藤氏の覚悟と「日本の農」に対する斉藤氏の期待を感じる。恐らく「日本の農」の担い手は変っていく。それは日本社会の地殻変動と連動すると思われる。農の新しい担い手よ、出でよ!彼らが日本の農の未来を創る。谷川雁的に言えば、

東京を出でよ ふるさとへ帰れ ふるさとへ向かえ 里山 里川 里海 

まだ見ぬ新しい故郷へ