近江商人と「世間良し」
近江商人の商法は「三方良し」が一般に知られている。「売り手よし、買い手よし、世間よし」。売り手と買い手の双方が喜ぶことを商売の基本とする、というのは良く分かるが、「世間よし」とはどういうことだろうか。社会的にも良い、ということだろうとは思ってはいたが、詳しく知る機会がなかった。たまたま仕事の帰り道に寄った飯田橋のブックオフで、こんな本を見つけた。「近江商人 ものしり帖」(NPO法人三方よし研究所、サンライズ出版)。帰りの通勤電車の中で読み耽った。「世間よし」についてはこのような説明がある。「近江商人の『諸国産物廻し』という商法は、藩内での自給自足の経済体制をとっていた江戸時代においては、本来好ましくない存在でした。しかし、近江商人は出かけた地域の人々の利益や要求に真剣に耳を傾け、それらを地域の人々の要求を踏まえた形、現代風にいえば顧客満足度の高い事業を発展させることが大事と考えていました。出かけた地域の産業振興を図り、雇用創出に務めたほか、地域の経済・文化支援活動に貢献し、地域の人々に受け入れられたのです」。この、他の藩に出かけて商売をする、というのは自給自足体制を原則とする当時の社会の中にあっては、今日の私達が想像する以上に、大変なことだったようだ。「富山の薬売り」で有名な富山藩第二代藩主前田正甫は、他の藩に出かけて行って商売しても良いという趣旨の「他領勝手」の許可を、薬売りに与えている。富山の薬売りは富山藩の庇護の下に発展をみたが、江戸時代の近江商人は大名の本領からではなく、天領、飛地などの一町一村に等しいような分断された小さな領域から出た、と言われている。近江商人も行った先では「よそ者」と最初は警戒されたのではないだろうか。自分たちの力で道を切り開くことを余儀なくされていた。その分、思想は深く、しかも徹底している。近江五個荘商人の塚本定次は「治水・治山の父」と呼ばれた。1887年の制定された「経 塚本家心得」にはこうある。「我家の財産は天に委託すべし」。これを機会に、日本型ビジネスモデルの精華の一つとして「近江商法」のビジネスモデル研究を進めていきたい。