都心でのコミュニティ形成の一形態・菜園コミュニティ

エーリッヒ・フロム「自由からの逃走」について、友人とお茶を飲みながら話し合った。

Mさんは新聞の書評でこの本を知り、面白そうなので図書館で借りて読んでいると話してくれた。私は学生時代にエーリッヒ・フロムの「愛について」と「自由からの逃走」を読んだ記憶があるが、すっかり忘れていた。最近「自由からの逃走」の再版が出たのでその関係で書評が書かれたのだろう。Mさんはまだ100ページぐらいしか読んでいないが、と断わった上で、以下のような感想を話してくれた。

1.ヨーロッパの中世封建社会では、家族、地域、共同体、教会、ギルドなどの集団があり、人々はそのようなつながりの中で生活していた

2.しかし産業革命の進展と共にそのような集団は崩れ、人々は自由を獲得したが、集団が失われ、人々は孤立していった。

3.そのような孤立した人々は民衆のためのキリスト教を求め、それがプロテスタントの土壌をつくり、ルターの宗教改革と結びついていった。

「それは何か、法然を先駆けとする民衆仏教と似ているような感じがするね。日本の場合

は封建制の解体というより末法思想が民衆仏教の土壌をつくったような気がするけど」

と私。Mさんとの話では封建的集団からの解放=自由の獲得、集団による保護の喪失、新

たな保護集団への帰属、というような話へ展開していった。

私「日本の戦後は農村共同体から都市へ人口が流れ込む時代で、彼らが工業生産の担い手

になっていったよね。会社は利益共同体として社員に終身雇用を約束した。会社が農村に

代わって共同体的役割を果たしたのではないかな。話がずれるかもしれないけど当時の歌

謡曲の中には自分がその中から出てきた、あるいは捨ててきた農村共同体への愛憎が漂う

ものが多いように思う。三波春夫のチャンチキオケサなんかはそうじゃないかな」

Mさん「しかし現在の会社は利益共同体ではなくて、利益追求集団になっている。余裕が

なくなってきているんだよね。社員は道具化されて、さらに共同体的保護を失って孤立し

ている」

私「会社が共同体的役割を担う時代はもう終ったんだろうね。その意味では会社の外に新

しいタイプの共同体が造られる必要がある」

Mさん「日本人の場合、どのような共同体が望ましいんだろう」

私「日本人はやはり農耕民族だから、都市部で共同体を造る場合でも、農的要素が重要な

役割・意味を持つんじゃないかな。これははずせないと思うよ」

Mさん「それは阿部さんがいつも言っている菜園コミュニティにもつながりそうだね」