鎌倉河岸の豊島屋のビジネスモデル

 

当社の東京事務所のある竹橋のちよだプラットフォームから歩いて10分ほどのところに鎌倉河岸がある。最近「鬼平犯科帳の世界」(池波正太郎編)を読んでいたら、鎌倉河岸の謂れが書いてあった。「河岸の名は、江戸城を築くにあたり、鎌倉から取り寄せた石材をここから陸揚げしたことに由来する。そういう汗っぽい場所だから、慶長年中には、遊女屋が十四、五軒あった」さて、「この鎌倉河岸に酒屋「豊島屋」十右衛門があった。三月の雛祭り用に売り出した白酒のことが「江戸名物図絵」にも載っているほどの有名店だ」

十右衛門は鎌倉河岸に居酒屋を開き、これが大当たりした。なぜ大当たりしたのか。ビジネスモデル的に検討してみよう。

1.他の居酒屋に比べ同じ酒なのに安い。理由は酒を仕入れ値で飲ませた。酒には利益を  上乗せしなかった。当然安くなる。これは価格面では圧倒的な差別化要素になり、お客様にとっては嬉しい店だ。安い酒をめがけてお客様が殺到する。通常の居酒屋の経営者であれば、主力商品の酒で儲けを出そうとする。しかし酒屋「豊島屋」十右衛門はそうはしなかった。いわば副商品で儲けを出そうとしたのだ。

2.それでは何で利益を上げたのか。儲けは酒の樽の空き樽(明樽)で上げた。明樽は一樽一匁から一匁二、三分で売れた。明樽で店を切り盛りするだけの儲けが出ると計算したところがすごいところだ。安定収入とするために明樽問屋組合にも加盟している。

3.「店の片隅で豆腐をつくり、店先で田楽を焼いた。「豊島屋」十右衛門方の豆腐は一丁が14に切られていたから、21に切るほかの店のものよりぐんと大ぶりだった。力仕事をする人にはこたえられない。毎日、十や二十の酒樽が空になったという」豆腐に付加価値をつけて、しかもお客様にお得感を強くアピールした。酒を飲む⇒明樽が増える⇒田楽を酒の肴に食べる⇒さらに酒を飲む⇒さらに明樽が増える ⇒ドンドン空になる酒樽を販売して儲けを増やしていく。勿論田楽でも儲けただろうが、儲けの主力である明樽を増やすために、酒を元値で売り、田楽もお得感で食べてもらう。このようなビジネスモデルを「豊島屋」十右衛門は考案した。このモデルは今日の私たちにとっても大いに参考になる。

「豊島屋」十右衛門方はグループ経営をしていた。単なる居酒屋ではなかった。業種毎に事業部制をとっていたのではないかとも言われている。仕事の合間に鎌倉河岸のあたりを歩きながら、豊島屋はこのあたりにあったのではないかと想像するのも楽しいことだ。