長田弘氏死去の報に触れて
詩人、長田弘氏が5月3日に亡くなった。学生時代、長田氏の詩を読んだが、そのシンプルさ、日常性に当時の私はあまり共感を寄せることができなかった。ある意味で自分の感性に響いてこなかったとも言える。当時の私は思想詩に傾倒していた。分らなさ故に惹かれていたのだろう。今になって見えてきたことだ。ところが数年前になるだろうか、本屋で長田氏の詩集「死者の贈り物」が目に留まり、購入した。早速読み始めたら止まらなかった。最後の詩を読んだ後、私は自分の歩んできた道が、長田氏の歩んできた道の側迄きていることに気付いた。長田氏はある意味では自分の道をまっすぐに歩んできたのだろう。一方私はあっちにぶつかりこっちにぶつかりとジグザグの道、振幅の大きい道を歩いてきた。そして今長田氏の詩の世界が分るところにまで、やっと辿り着いた。「死者の贈り物」は2003年10月に発行された。今から12年前、長田氏63歳の時。私はこの詩集の一つ一つの詩を心を鎮めて読む。いや読んでいるうちに心が別の世界にいつの間にか移され、見えないものが見えるようになってくる。
長田氏は逝った。75歳だった。いわば同時代を単独者として生きた詩人だったかもしれない。「死者の贈り物」の中の一篇、「イツカ、向コウデ」。
「人生は長いと、ずっと思っていた。
間違っていた。おどろくほど短かった。
きみは、そのことに気づいていたか?
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まっすぐに生きるべきだと、思っていた。
間違っていた。ひとは曲がった木のように生きる。
きみは、そのことに気づいていたか?
サヨナラ、友ヨ、イツカ、向コウで会オウ。」