阿久 悠さんの「あんでぱんだん」

阿久悠・作詞家憲法全十五箇条を時折読み返している。時代に正対し、時代の飢餓感のストライクゾーンを見つめていた阿久さんの、憲法3条と4条を繰り返し読みながら、都市型の生活と、歌的世界と歌的人間像との決別・・・というところを考えていた。具体的には女性歌手KANAさんの最近の歌「泣かせてヨコハマ」「永遠の月」と川野夏美さんの歌「女の空港」「悲別」を手がかりにしながらこの「決別」とは一体何を意味するのか、考えている。この4曲に共通しているテーマは「別れ」だ。直観的に感じることだが、演歌には「別れ」を歌ったものが多い。数え上げればかなりの数になるのではないだろうか。それも女性の側から「別れ」を歌ったものが圧倒的に多い。人は出会い、人は別れていく・・・。出会いには喜びがあるが、別れは寂しく、辛い。特に男女の別れはそうだ。上記に挙げた4曲を聴いていて少し微妙な表現になるが、相手の人との別れは受け入れても、相手の人と過ごした思い出とは別れない、という心情を感じる。人と別れることは仕方ないにしても、一緒に過ごした思い出・経験とはそう簡単に別れることができない。それは既に自分の人生の一部になってしまっている。特にそれを感じさせるのはKANAさんの「永遠の月」と川野夏美さんの「悲別」だ。

石川さゆりさんの「津軽海峡・冬景色」では女性は相手の人と別れることを具体的テーマとしている。「さよならあなた、私は帰ります」」。一方KANAさんと川野さんの歌は相手の人と過ごした思い出・経験を対象化して、そのまま受け入れようとしている。そこに私は阿久さんが言われるような歌的世界と歌的人間像との決別を感じる。愛する人を追いかけず、うらみ、つらみを言わず、どうせともしょせんとも言わない情念的にも自立した女性の姿が見えるようだ。このような女性像は桂銀淑の「すずめの涙」あたりから始まっているのかもしれない。ただ対極にある男性のイメージが漠然としているのが気になる。