集合知の厳しさ

世の中の集合知の厳しさを改めて実感させてくれたのは今回のSTAP細胞に関る一連の出来事だ。インターネットの時代、科学論文の詳細な内容さえ簡単に入手できる。誰がどこで見ているか、分からない。その意味では世の中に出すものについてはこのような集合知のチェック、批判を受けることを覚悟しておかなければならない。一旦外、世間に出たら回収のしようがない。

STAP細胞については小保方さん以外、もう誰もあるとは思ってない状況になっている。恐らくES細胞をSTAP細胞と見間違えました、という結論になるのではないか。世間に出す前に理研内部で徹底的な精査が行なわれていれば、と今になって思う。今回は部下の手柄を横取りしようとした笹井芳樹CDB副センター長の罪は重い。部下の手柄は上司の手柄、上司の失敗は部下の責任。まさにテレビドラマ「半沢直樹」のシーンを思い起こさせる。STAP細胞の発表直後、小保方さんの「今後どうなるか恐ろしかった」という言葉が私の記憶に残っている。盲目の作曲家の例がある。小保方さんはSTAP細胞の研究で理研に採用されたが、それが捏造であることを告白する機会を探していたのではないか。理研内部でそれが行なわれていれば、一研究者の問題で終ったことだろう。

インターネットの時代だからこそ、内部的なチェック、それができる優れた人材が必要なのだ。