鎌倉幕府 源頼朝のビジネスモデル
義経人気の影で頼朝は敵役とされている。しかし火坂雅志氏は「源頼朝という人物は、たぐいまれな政治家として再評価されるべきかもしれない」と示唆している。火坂氏にそう思わせたのは頼朝が九条兼実宛に出した書状だ。九条兼実は、朝廷でもっとも頼朝に近く、その理解者だった公卿であった。
頼朝は書状で九条兼実にこう自分の思いを伝えている。
「今度は天下の草創なり、もっとも淵源を究め行はるべく候」(今は天下を草創しようとする時である。それがなぜ必要とされるのか、根本的理由を深く突き詰めて考えるべきである)。このように伝えられた九条兼実は頼朝の思いをどのように受け止めただろうか。恐らく「そう簡単に進まない」と思ったのではないか。どのような時代でも既成の勢力を抑えて新しいことを実現していくのは容易なことでない。特にそれが根本的であればそうだ。しかし頼朝は粘り強く変革を続け朝廷中心の貴族社会を根本から変え、日本で初めて真の武家政権を確立し、その後に続く武家政権の基礎をつくった。頼朝の前に平清盛が最初に武家政権を樹立したが、平家はやがて貴族化してしまった。その結果を見届けた頼朝は決して貴族化しない武家政権とはどのような政権なのか、その原型を作ったと言えるのではないか。頼朝は日本という国についての大局観を持っていた。このあたりが弟の義経とは違うところだ。鎌倉幕府による地頭職の設置は従来からの荘園領主などの抵抗があったが、ついには日本全国に広がっていった。頼朝は時代の歯車を逆転させないために苦闘したことだろう。話は飛躍するが、この武家政権があったからこそ蒙古襲来も防げたのではないか。頼朝は人気がない。ただ世間的評価とは別に政治家としての頼朝について知りたいと思う。一度頼朝の政治構想をビジネスモデル的に分析してみたいものだ。