仕事の報酬は仕事である

 

明治から昭和の実業家、藤原銀次郎は「愉快に働く法十カ条」の最後十カ条目で「仕事の報酬は仕事である」と述べている。どういう意味だろうか。私なりに良い仕事をすれば次の仕事が舞い込んでくる、と理解したが、それだけではどうも藤原の意のあるところにまで届いていないような気がする。つまりこの十カ条の締めくくりの言葉は仕事をする動機まで含んでいるように思われる。私たちは金銭的報酬によって仕事の内容を変えてしまう傾向がないだろうか。例えば講演を頼まれたとしよう。1回5万円の講演と1回1万円の講演という場合、5万円の講演であれば一生懸命準備するが、1万円の方はソコソコの準備で間に合わせてしまう、ということはないだろうか。もしそうなら、なぜ私たちはそのように考えてしまうのだろうか。ここで一旦立ち止まって考えてみたいことは、仕事とはそもそもどのような行為なのか、ということである。一言で言えば、顧客に対して顧客がその時、その場で必要としている価値を提供する行為だ。価格には当然高低があるが、価値はそうではない。そして価値を価値たらしめているのは、「お値段以上」の経済合理性であり、「そこまでやってくれたのか」という感動だ。仕事の報酬は仕事。次の仕事は当然難しくなる。「ここまでできるなら、今度はこんなことを頼んでみよう」次の仕事を頂けることで、私たちはスキルアップの機会を頂くことになる。だから次のように言うこともできる。「仕事の報酬は成長である」と