人生 先に何があるのか分からないから頑張れる

一人一人にそれぞれの人生があり、幸せも試練もある。もしあなたの人生はこうなりますよ、と神さまが脚本家のように、人生が始まる前に、私達の人生をあらかじめ見せてくれたらとしたら、私達はどのように思い、行動するだろうか。恐らく良い結果にはならないだろう。幸せだけで塗りつくされた人生などない。幸せと共に悲しみ、苦しみ、試練が人生には必ずある。それが人生なのだと思う。70年生きてきて改めて痛感する。

私は会社を自主廃業した。全てが終った時、自分が自主廃業のためにやってきたことを振り返って思うことだが、もし最初にやるべきことを全部見せられたとしたら、「自分にはそんな大変な仕事はできません」と言ってきっと逃げ出していただろう。自分のようなものにも自主廃業ができたのは、先のことを取り越し苦労できないほどに、切迫した目前の問題にとにかく全力で取り組むということを余儀なくされたからではないかと、今になって改めて思う。そして自主廃業が無事終ったら「こんなことをやってみたい」という夢を胸の底で描き続けた。

自分が会社を自主廃業する時につけていた「業務日誌」を読み返しながら、明日どうなるか分からない不安を抱えながら、目の前の問題に必死に取り組んでいた自分の姿を思い出す。倒産の不安に怯え、揺れる綱の上を渡っていた。

人生もそうかもしれない。いつ死が訪れてくるか、誰にも分からない。その不安を抱えながら、人は今日一日を生きる。だからこそ、一生懸命生きることができるのではないか。不安があるからこそ、人は今日を生きようとするのではないか。目の前に次から次へと切迫した問題が出てくる。その問題への取り組みのつながりが人生となる。だから人は人生を歩むことができる。そして途中でどんなことがあっても「終り良ければ全て良し」と思いたい。その意味でもシニア時代の生き方は大事だ。