いのちは時間、時間の合流

人と人が出合うということは、ある意味で2つの時間の流れが触れ合い、重なり合うことなのかもしれない。最近今迄の自分の人生のさまざまな出会いのことを考えるとそのような思いに駆られる。その人のことを思い出すのは当然のことなのだが、その人と過ごした時間のことも思い出す。時間の中にはいろいろの出来事が入っているのだが、出来事を包むような形で、あの時の時間が見えるような気がする。そのような時間をどのように名付けたら良いものか。それは確かに過去、過ぎ去ったものと呼ばれるのだろうが、しかし、過ぎ去ったかもしれないが、依然として私の記憶の中に留まっている。人生を7年毎に区切って見つめ直す、という瞑想法がある。それは7年という時間の流れに名前をつける行為なのだろう。それぞれの7年間の間に、その時間に相応しい人に出会い、私達は大切な思い出をつくっていくのではないか。

それにしても夫婦とはいのちの時間を重ね合わせて生きる特別な関係だ。その意味では夫婦の関係はとても重い、と思わされる。

 

過ぎし1週間、これからの1週間

日曜日の晩、過ぎし1週間のことを日記を見ながら思い出す。勿論日記に書き記していないことも多くある。特に忙しい日々が続いた週は、まさに日曜日に息をゼーゼーしながら辿りついたという感じだ。そして自問することになる。忙しいと思っているようだが、この1週間、やるべきことをやったのだろうか。ただなんとなく過ぎ去ったように思う時がある。いやそのような時の方が多いかもしれない。少し硬い言い方になるが、何か自分がしなければならない本質的な仕事をしただろうか、将来につながる仕事をしただろうか。あれもこれもと、自分の予定を埋めていないだろうか。そして仕事の内容について洞察する時間を削っていることに気付く。また自分自身を見つめることを忙しさにかまけて疎かにしていることに気付く。自分の頑張りを労う気持ちはあるが、仕事と日々の生活の在り方を立て直さなければ、自分が願っている人生の境地に達することができない。

新しい1週間を始めるにあたり、いつも思わされることだ。

 

ジョブスの言葉

スティーブ・ジョブスの「驚異のプレゼン」を2年ほど前に読んだ。その印象は強烈だった。そしてとても参考になった。私が「驚異のプレゼン」から学んだことはいくつかあるが、ここでは2つの点に絞って述べてみたい。

第1は、聞き手は「なぜ気にかける必要があるのか」という点だ。聞き手に気にかける必要があることを分り易く、明確に伝えなければならない。例えばエゴマの共同栽培・共同分配について聞き手にプレゼンする時は、一番分かり易い「なぜ・気にかける理由」を説明しなければならないだろう。

第2は、これはマックの伝道者、ガイ・カワサキの言葉だが「伝道とは、純粋で情熱的な営業です。伝道で売るのは、形のある物体ではなく、夢ですからね」。これは示唆的な言葉だ。その製品を使ったら自分の生活がどのように劇的に変化するのか、どのようにもっと楽しくなるのか、その夢を描くことだ。

以上2つは私達の日々の仕事に直結している。

 

師匠と弟子・能の世界から

NHKのEテレの古典芸能の番組で若い能楽師が「道成寺」を舞うのを見た。厳しい稽古をして晴れ舞台で無事シテを舞いきった。塩津圭介さんだ。舞い終わった後「お能はつくづくむずかしいと思いました」とホッとしながらも次に向って課題も見つけたような口振りだった。父君は塩津哲生氏。子供の頃稽古をつけてもらっている時、「この人は誰だろう」と思ったほど厳しかったようだ。圭介さんが「道成寺」を無事舞い終えた後、哲生氏はこんなことを言っていた。

「段々体がいうことをきかなくなって、そうなると余計に能への思いが強くなって、今、正直自分で苦しんでいる時なんですけど・・・(中略)・・・動かなくなった体から長年の執念みたいなものが出てくる。そういう世界があるように思う」

私の哲生氏と同じ年齢ということもあり、なにか分るような気がする。私の中にも「執念」のようなものがある。

能の世界は「毎日稽古 生涯修業」と言われている。

私の場合は「毎日・アイデア稽古 残された生涯・社会の役に立つ仕事修業」ということになるだろうか。

 

人生の夕昏時

人生を天候に譬えると、私の場合は晴れの日よりも曇り、雨の日の方が多かったように思う。それらの大部分は自分の能力の足りなさ、努力不足、また人間的に未熟だったことから来ていると気付かされる。今日は久しぶりで自分が仕事でお世話になった人達のことを思い出し、素直な気持で「申し訳ありませんでした」と心の中でお詫びした。多くの失敗をした。今でも思い出すと冷や汗がでるし、心もチクチク痛む。仕事をしながら、どこかで自分探しをしていた。家族もいるのにまだ青臭い考えを持っていた。役に立たない社員だったと思う。そして今。一日に譬えると雨が上がり夕陽がさしている。木の葉の雨滴が光り、物象の影が濃くて長い。そんな一時かもしれない。夜が来る前の夕陽がまだ明るい時が与えられている。光あるうちに光の中を歩め、という格言もある。私らしい、誰かから「やっと使いものになったな」と言われるような「何か」を成し遂げて、人生の夜を迎えたいと切望している。

 

熟年ビジネスで大事なこと

ビジネスにもいろいろある。ひたすら利益を追求するビジネスもあるが、社会的価値も視野にいれながら行なうビジネスもある。私達熟年層は大体高度成長期に社会に出て、会社づとめをした。「とにかく売って売って儲けろ」と言われた世代だ。そのような世代が定年退職して、熟年として第二の仕事を始める時に心がけたいことがいくつかあるように思う。

第一は仕様がなくてやる仕事ではなく、ワクワクしながら出来る仕事を選びたい。要は楽しく仕事をする、ということだ。

第二は利益至上主義にならないことだ。ほどほどの利益が上がればいい、ぐらいに考えて、自分なりのロマン、あるいは夢を仕事に託す、という行き方だ。仕事は仲間と一緒にやることが多い。利益ばかりを口にすると人間関係がギスギスしてくる。

第三は社会性のあるスモールビジネスに特化する、ということだ。熟年世代はその気持ちの底でなんらかの形で社会につながることを望んでいる。一方熟年であるが故に病気、故障などで仕事が続けられなくなるという事態も起こる。その意味ではバトンタッチできる若い仲間が仕事仲間にいることが望ましい。

 

職人技を素人でもできるようにする

渋谷のイタリアンレストランでピザ焼きの技術革新を実現したオーナーが技術開発の狙いを説明していた。2つある。ポイントは職人業だったピザ焼きを素人でもできるようにしたことと、焼き時間を短縮したことだ。前者は人件費の節減、後者はすぐ食べられるのでお客様の満足度が向上すると同時にコストダウン効果もあって、「こんな値段でピザをたべられるの!?」と驚きも提供できる。

これもイノベーションの一つの事例だ。今後とも「職人技の素人化」はいろいろな分野で進んでいくことだろう。私が取り組んでいる屋上菜園の有機栽培でも、農業の分野でも作物の栽培でも、職人業がやはり求められるが、イノベーションと仕組みづくりで、素人でも、この場合は市民でも有機野菜づくりができるようにしたい。

また芝生による緑化も素人でも簡単に施工できるDIY的やり方を開発したい。そうすることによって普及がスピードアップしていくのではないか。

 

夜の散歩をしながら 

今日はあまり歩かなかったので、万歩計を着けて町に出た。目標の歩数は8,000歩。

時間にして約75分。いつものコースを辿って歩く。志木駅の東口からコンコースを通って西口に出て、少し早足で大通りを歩いていく。このコースは定番コースの一つ。夜歩くので安全上、明るい人通りの多い道を歩くようにしている。最初の大きな十字路を越えて暫く行ってから右に曲がり、突き当たるところ迄歩いていくと、立教高校のキャンパスがある。正門のところに高さ10メートル以上ある樅の木に赤、黄、青のイルミネーションが飾りつけられている。迫力がある。昨年クリスマスイブ礼拝の時に家内と一緒に参加した。とてもいい思い出になった。そんなこともあり、今年も家内と一緒に参加する予定だ。暫くクリスマスツリーを見上げてから家の方向に向って戻っていく。病院の前に来た時、救急車がやってきた。担架に横になった人が院内に消えていく。少し歩いたところで携帯電話を見ると時刻は10時少し前。停留所の前に路線バスが停まり、高齢のご婦人が杖をつきながら降りてきた。線路の下のアンダーパスの歩行者通路を通って、大通りを歩く。途中に立ち飲みの酒場がある。賑わっている。ビジネスホテルの横を通り、大通りを渡って家に近く迄きたが、まだ7000歩ちょっと。そこで家の近く道路を2回大回りして家の玄関迄来たところで8006歩。なんとかクリアーした。

 

今年の目標の達成度

今年ももう少しで終り、2016年を迎える。私もそれなりに公私に分けて年間の目標を立てた。「公」の方は念願の一般社団法人ジャパンベジタブルコミュニティを設立することができたので、ほぼ目標は達成できたと思う。今年の4月に最初の会合を持ち、毎月会議を開いて検討を重ね、9月に設立の運びとなった。実際の活動が始まるのは来年の2月からだから、結局10ヶ月かかったということになる。「公」の目標はこの一つだったが、「私」の方は目標を3つ立てた。

1.毎日ブログを2本書く。1つは屋上菜園関係、もう一つはビジネスモデル関係。

2.半農半Xのライフスタイルを実行する

3.一日一日を大切に送る

さて達成度。1については出張とか仕事あるいは農作業が忙しいとかで毎日書くことはできなかったが、時間のある時にまとめ書きをして、形の上では毎日書いた。このブログ書きは2013年の夏から始めて今でも続けている。気持ちとしては農作業と時代に向き合っていく中で自分なりに気がついたことを書いてきたが、内容はとにかく実際はボケ防止に役立っているのかもしれない。

2については仕事の関係で実際は1/4農 3/4X ぐらいだった。実際のところ、Xが忙しいので、半農はまだ難しい。

3については精神的にそのような気持ちで一日一日を過ごしてきたと思うが、本当にそういう気持になったのは年の後半からだった。

新年が来る前に来年の目標づくりをしなければ、と思うが、今更新しい目標を立てるのも大変なので、どうやら今年の続き、ということになりそうだ。

 

菜根譚を読む

釈 宗演著の「菜根譚講和」を斉藤孝氏の訳で折に触れて読んでいる。読み方はまさにいい加減で目次を見て、その日目に留まったところを読む。今日のタイトルは「晩年に『もうひと花』咲かせる」(前集199)。斉藤氏の訳はこうだ。

「日がすでに西の山に沈もうとするとき、なお夕映えは紅色の美しく輝いている。一年がまさに暮れようとするとき、柑橘類は一段とかぐわしい香を漂わせている。天地自然がこのようであるように、立派な人物たるものは、人生の晩年に際して、気力も百倍にも奮い立たせて、大いに期するところがなければならない」

庭の柚子の木が黄色い実をたわわにつけている。昨晩いくつかを収穫して食卓に置いた。上品な香りだ。それだけで食卓が爽やかな場所になる。そして元気が出てくる。私は立派な人物にはほど遠いが、この講話には励まされる。気力百倍には及ばないが、せめて十倍ぐらいは発揮して、大いに期したい。

兵士達が老年になってその故国の家庭で、古い傷跡を見せ、戦いの思い出を語るように、人生の戦いで私達は多くの傷を負ってきた。そして人には見せない深い傷跡もある。それらの古傷が時々思い出すかのように痛む時もある。それでも、と菜根譚講話を言っているのかもしれない。気力を奮い立たせよ、と。

「故に末路晩年は君子さらに宜しく精神百倍すべし」。それにしても「もうひと花」」はどんな花になることだろうか。大いに期待したい。